現在は穏やかに流れる天王川だが、かつては大雨が降るたびにはんらんする「荒れ川」だった。河川改修以前は流れが蛇行しており、増水すると未舗装の道や木橋を押し流したという。ただ、豊富な水量は農村の子どもたちに夏の楽しみを与えていた。米沢市竹井の木和田橋(全長63.5メートル、幅6.7メートル)周辺は川遊びをする児童、生徒でにぎわったという。
「昔は飛び込めるほどの水があった」。上郷コミュニティセンターの事務局長で、近くに住む佐藤武好さん(62)は少年時代を振り返る。田畑が広がる上郷地区。天王川は遊ぶにも涼むにも絶好の場所だった。「当時は学校にプールなんてなかった。海に行く機会もなく、川で泳いだんだ」。泳ぎは上級生に教わり、手づかみで魚を捕まえたという。
米沢市内にはかつて「七日浴び」という風習があった。諸説あるが、七夕の日の川には薬水が流れるという伝承があり、この水を浴びるため、子どもたちが前夜から岸に泊まり込んだという。佐藤さんも木和田橋沿いで体験した。「木の枝にむしろを取り付けて簡易の小屋を作るんだ」。ジャガイモやトウモロコシを味わいながら、日付が変わるのを待った。
1970年代から河川改修工事が始まり、流路や護岸が整備された。現在の木和田橋は89年の架設。川がはんらんしたり、大水で橋が流されることはなくなった。
一方で、水辺で遊ぶ子どもたちの姿も見なくなった。水難事故防止のための学校の指導もあるが、泳いで遊ぶような深さもない。佐藤さんは「あらためて川のことを考えると、時代の変化を感じる」と語った。
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