米沢市の米沢八幡原中核工業団地内に架かる細原橋は全長55.31メートル、幅28.8メートル。一つ上流の梓山橋とともに同団地の物流を支える。下流両岸には八幡原公園が広がり、米沢ヘリポートも隣接。ヘリコプターの離着陸は不定期だが、運が良ければ橋上からその様子を見ることができる。
橋の右岸には昭和40年代後半まで細原集落があり、16世帯が暮らしていた。当時、細原に住んでいた鈴木芳高さん(62)=同市川井=は「昔の細原橋は今の300メートルほど下流に架かる土橋だった」と懐かしむ。川が増水する度に流され、市街地の高校に通う生徒は大雨の日に「橋が流されて帰れなくなる」との理由で早退が許されたほどだった。
その土橋も1967(昭和42)年の羽越水害で流出。その後、護岸工事に合わせてコンクリート製の永久橋に架け替えられた。「行き来が楽になり、水害に苦しむこともなくなった。地域のみんなが喜んだ」。鈴木さんの祖父母と父も渡り初めに参加し、完成祝賀会は細原の公民館で夜遅くまで続けられたという。
その数年後、細原を含めた八幡原一帯に工業団地が造られることが決定。住民たちは川を越えて3キロ以上離れた羽黒川右岸の代替地に集団移転を求められた。一部には反対の声があったものの、住民たちは「将来の米沢のために」と移転を決意。72~74年に次々と細原を後にした。
住民の転出後、工業団地建設工事は本格化。細原橋はいったん取り壊された後、77年11月に片側2車線の立派な橋に生まれ変わった。「昔の細原の面影はなくなった」と寂しげな鈴木さん。工業団地を見下ろす高台に建てられた記念碑と、住民の移転先に付けられた細原の小字名が、集落の名残である。
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