天王川は高畠町の露藤地区で最上川と合流する。付近一帯は、米沢市と同町の境界が複雑に入り組んでいる。天王川がひんぱんに暴れていたことを示すひとつの証左。天王川の最下流に架かる天王川橋は米沢市下新田に位置しているものの、下流および右岸側はすぐ高畠町だ。
露藤、下新田の両地区は現在でこそ町、市に分かれているが、かつては同じ「屋代郷」。高畠町郷土資料館の安部温(あつし)主任(45)によると、天王川橋がある県道浅川高畠線は「中街道」と呼ばれ、米沢街道と羽州街道の間に位置し、両街道を補完する役割を担っていた。街道筋に「休み石」があったことが確認されていることなどから、人々の往来はひんぱんだったと考えられている。露藤は、街道沿いの中でも規模の大きな集落で水利も良かったため「1石でひとりが1年間暮らせる時代、30石の家もあった」。
時代は流れて現代。県道浅川高畠線は、高畠町の中心部と米沢市街地を結ぶルートとして重用され、交通量は多い。混雑する国道13号のバイパス機能もある。現在の橋は長さ約71メートル。車道部分(幅9メートル)が1981(昭和56)年に架けられた。上流側に並行して架けられている自歩道橋は2000年の完成。幅3.5メートルの立派な橋だ。県置賜総合支庁によると、自転車通学の高校生や歩行者の安全を確保するため、後に専用の橋を造ったという。
「幅の狭い砂利道で、橋も木製の簡単なものだった」。米沢市側に住む古老の思い出だ。先人たちにとっては、この自歩道橋だけでも驚きに値するのだろう。
|
|