米沢市浅川の天王橋は、天王川の名称の由来と深いかかわりを持つ。橋近くにある大覚院の亀田昊明住職(74)によるとこうだ。
かつて、この地区にある戸塚山の山頂に牛頭(ごず)天王が祭られていた。山の頂上では人々の参拝が困難だったことから、当地を訪れた阿闍梨(あじゃり)が夢のお告げに従って下流の笹淵(現高畠町内)に天王堂を移設。だが、川のはんらんでたびたび流される被害に遭ったため、さらに1752(宝暦2)年、現在の橋のたもとに移された。「昔は橋から下流を天王川、上流を梓川と呼んでいたようだが、いつしか全体を天王川と呼ぶようになった」と亀田住職。1987(昭和62)年からは大覚院に祭られている。
伝説をもう一つ。昔々、川の対岸に出掛けた住職が、帰りに激しい嵐に見舞われた。川まで来たが、目の前で橋が濁流に飲まれた。途方に暮れていると上流から流れてきた大木の一方が足元に、もう一方が向こう岸に引っ掛かり丸木橋のようになった。住職が急ぎ渡り終えると、大木は再び流れの中に。安堵(あんど)して見送っていると、丸太は大蛇に姿を変え、下流に消えていった。
以来、この地域では「ヘビを殺してはいけない」との言い伝えが守られてきた。周辺の農家が初物のキュウリを牛頭天王に供える風習には、細長い形が似ているヘビに対する感謝の意も込められているという。
現在の橋は1983(昭和58)年に完成。丸太でも、大蛇でもない。鉄筋コンクリートが支える永久橋だ。
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