米沢市長手にある下河原橋は、主要地方道米沢高畠線に接続する細い市道上にあり、交通量も少ないが、かつて地域を支えた産業と切っても切り離せない関係にあった。
繊維産業が隆盛を誇ったころ、周辺のほとんどの農家は養蚕を手掛けていた。集落は天王川の右岸にあり、左岸には一面の桑畑が広がっていた。カイコの餌である桑の葉を採るため、住民は頻繁に川を渡らなければならない。近くに住む坂野味之助さん(86)は「とても重要な橋だった」と語る。
住民生活に欠かせない存在だったにもかかわらず、1982(昭和57)年に現在の永久橋に架け替えられるまでは木製の簡素な橋だったという。材料は、近くの天満神社境内の杉と決まっていた。直径約45センチ、8~10メートルほどの杉を2本縦に割り、計4本を川幅の狭い部分を選んで渡して橋に仕立てていた。
木製の橋が増水で流されるのはお決まりだが、この橋は特によく流されたという。「1年で3回ぐらい流される。多い年は5回も流された」と坂野さん。毎回、木が下流で引っ掛かる場所は決まっており、集落総出で回収、再建を繰り返した。「水量が落ち着くのを見計らって川の中をロープで引いてきた。鳥居型の支えを建て、かすがいで木を固定して…あんまり流されるからみんな熟練工になった」と笑う。橋が流されている間はどうしたのかを尋ねると、「川の中を渡って桑を運んだ」。
現在の橋は約61メートルで道路幅は5メートル。左岸の桑畑は消え、代わりに新たな集落ができた。今はその住民たちの生活道として役割を担う。
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