山形市大森と天童市荒谷を結ぶ荒谷橋は、大正時代に建設された橋脚、橋桁が現在も残る。全長179メートルのコンクリート造りの橋は、1924(大正13)年の完成当時、馬車やリヤカーでの通行を想定していたため幅はわずか4.4メートルだった。しかし、車の増加に伴って71(昭和46)年に拡幅され、現在は片側に整備した歩道を含め、幅7.3メートルに広がった。
近くに住む東海林正悦さん(74)=天童市荒谷=が子どものころ、川向こうの高瀬村(現山形市大森)の少年たちとは「ライバル関係にあった」。それぞれのガキ大将が橋のたもとに陣取り、にらみ合った。近くの水浴び場で出会うと、相手を強引に追い払ったこともあるという。「『大森のぎゃらご(おたまじゃくし)、水ねくて(無くて)あっぱっぱー』とからかったものだ。今考えると申し訳ない」。東海林さんは懐かしそうに振り返る。
戦時中は、物資不足で欄干の金属製の柵も供出され、大きな隙間が空いた。地域の人たちは子どもたちが川に落ちないように、角材で代わりの柵を作ったという。
55(昭和30)年ごろには、橋の周囲に今以上にブドウ畑が広がり、橋近くに大きなワイン工場があった。そのため車がすれ違えない橋を、ワインを積んだ大きなタンクローリーが1日に何度も通った。
堤防が崩れるほど川が氾濫してもびくともしなかった頑丈な橋だったが、2008年の岩手・宮城内陸地震では橋脚の補強部分が一部はがれた。現在はジャッキで支えているが、全面架け替えの計画が進んでいる。時代に合わせて姿形を変え、1世紀近くにわたり地域民に愛されてきた荒谷橋。その役目を終える日が近づいている。
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