立谷川に架かる橋の中で、最も下流に位置する灰塚橋。山形市の市道が南北に通る灰塚地区にあり、1989年に架け替えられた。長さ110メートル、幅は12メートル。100メートルほど北側に明治小が立ち、朝夕は橋を渡る元気な子どもたちの声が聞こえる。
「今の橋は戦前の木橋から数えて3代目」と橋の北側に住む松尾隆夫さん(78)が話す。先代は1953(昭和28)年に完成したコンクリート橋だった。「昭和25(1950)年の夏に川が氾濫し、地区内で一気に河川改修の機運が盛り上がった。川幅が広げられ堤防を高くして先代の橋が架けられた」と松尾さん。その水害で地区内の水田は水没。流された稲を農家の戸数で割って分け合ったという。
下流の河川敷で、枝豆やベニバナの種まきなどの畑仕事をしていた樋口善兼さん(69)、シズエさん(68)夫妻は「昔はここが自宅だった」と話してくれた。「河川敷に家が立ち並んでいたが、河川改修で堤防の北側に移転した。元の住まいが畑になるとは思わなかった」
明治小では毎年3月初め、サケの稚魚を放流している。「この秋に、5年前に初めて放流したサケが帰ってくる可能性があり、子どもらが楽しみにしている」と大沼篤校長が語る。橋のたもとの歩道脇に児童が花を植え、フラワーロードと呼ぶなど、橋の周辺は学校活動に欠かせない場所となっている。
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