大雨となれば木橋は流され、水田冠水の常襲地帯だった戸沢村名高地区。この名高地区と新庄市升形の前波集落を結ぶ戸沢橋の永久橋架設は、住民らの長年の悲願だった。
かつての木橋は現橋より50メートルほど上流にあり、幅が2メートルほど。やっと馬車の荷車が通行できる程度だった。前波側の橋近くに住む榎本登さん(86)は「木橋近くには渡船場があり、船頭も常駐していた。豪雨で橋が流失すると、住民らは前波と名高を川舟で行き来した」と振り返る。
右岸の名高地区では戦後、大規模な堤防、護岸工事が行われた。「戸沢村史」によると、住民は初めてブルドーザーを見てその威力に驚いたという。架設運動は実り、工事の総仕上げとして1964(昭和39)年、戸沢橋が完成した。長さ197メートル、幅6メートル。名高の荒川秀雄さん(77)は「子どものころは、木橋から清流の鮭川に飛び込んで遊んだ。永久橋が架設された時、地区内はお祭り騒ぎだった」と懐かしむ。
朝夕の通勤ルートになっており、交通量は多い。国道47号の本合海大橋(新庄市)-古口(戸沢村)間が事故や災害で不通になった際は、新庄、庄内方面への迂回(うかい)路になる。来年架設50年目を迎える今も“現役”として役割を果たしている。
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