やまがた橋物語

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丹生川編[3]

◆滝の橋(尾花沢)

滝の橋(尾花沢)の写真 主に農作業用の通路として利用されてきた滝の橋=尾花沢市鶴子

 尾花沢市鶴子の滝の上集落に「滝の橋」(全長28メートル、幅3メートル)が架かる。地名から滝の上橋と呼ぶ人もいるが、橋のプレートには「たきのはし」と書かれている。1965(昭和40)年の架設から44年ほど経過、欄干の石柱は所々が削れている。丹生川の左岸にある集落と右岸の山沿いにある田畑を結ぶ農作業用の橋で、今もその役目を担っている。

 近くに住む伊藤兵七さん(91)によると、かつては現橋より少し下流につり橋が架かっていた。1913(大正2)年に大洪水が発生。つり橋が架かる場所は岩壁に挟まれ川幅が狭くなっているため、押し寄せた濁流は一気に水かさを増し、つり橋の上からまるで滝のように流れ落ちた。これに由来して「滝の上」という地名が付いたという。

 伊藤さんは現橋の架設工事で作業員として働いた。「川底の岩盤が固く、その上、流れが急な所だから支柱を立てるのにとにかく苦労した」と振り返る。橋の名称を「滝の上橋」か「滝の橋」にするかで意見が分かれたが、読みやすさから「滝の橋」に決まったという。

 つり橋の時代は農家が頻繁に行き交った。橋のそばに穀物の神である稲荷(いなり)を祭ってあり、伊藤さんの妻のハマさん(83)は「お稲荷様の前を通る時は、必ず手を合わせながら『前を通ります』と言って横切り、橋を渡った」と話す。橋が遠い人は、ひざまで水に漬かって川を越えた。子育て中の母親は、わらで編んだかごに赤ちゃんを入れて田んぼまで連れていき面倒を見た。「朝から晩まで人が機械みたいになって働いた。橋のことを考えると大変だった時代を思い出す」と伊藤さんが話していた。

2009/07/08掲載
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