酒田市草津と泥沢を結ぶ南麓大橋は、1989年10月に始まった国営鳥海南麓農地開拓建設事業の一環として整備され、97年5月に開通した。長さ142メートル、幅9メートルのコンクリート橋(PC橋)。「第2号幹線道路」という路線名の農道になっていて、管理は現在、市に移管されている。
鳥海南麓の農地開拓は、酒田市と旧八幡、平田の両町、遊佐町の計6団地に及ぶ大規模な農地造成事業だった。98年3月までの9年で計85億円の事業費を投じ、ネギやカボチャ、赤カブ、レタス、山菜、花卉(かき)などを生産する農地延べ88ヘクタールを造成。併せて幹線道路6路線(延長9.8キロ)などが整備された。
当時、ウルグアイ・ラウンド農業交渉による農産物自由化圧力などもあり、コメ生産を取り巻く社会環境は大きく変化。農家は規模拡大による経営安定化や、水稲主体の経営から畑作を取り入れた複合経営への転換などを求められていた。鳥海南麓の開拓もそうした情勢に対応したもので、日向川左岸には10.3ヘクタールの泥沢団地が造成された。
泥沢団地の農産物を運ぶため架けられた南麓大橋は、日向川左岸の泥沢集落の住民生活にも欠かせない橋になった。近くに住む小松章さん(84)は「橋が完成するまでは山際の細い道を通り、下流の赤剥(あかはげ)や新出(しんで)まで出なければ対岸に渡れなかった」と振り返る。「今は病院に通ったり、市街地に出る時も全部この橋を渡る。便利になった」。そう語り、頼もしげに橋を見詰めた。
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