酒田市北部の穀倉地帯を南北に抜ける主要地方道酒田遊佐線の大正橋は、同市の宮内と本楯を結ぶ長さ264.5メートルの長大橋。酒田-遊佐間の鉄道(現JR羽越本線の一部)が開通した翌年の1920(大正9)年に木製の初代「大正橋」が完成した。現在の3代目もこの名前を引き継いでいる。
3代目は断面がI形の鋼板を主桁にして路面を支える鋼板桁橋で、幅7.25メートルの車道と下流側に幅2.5メートルの歩道を備える。91年12月に架橋した。羽越本線の日向川鉄橋の下流に位置し、北側には南遊佐小と南遊佐コミュニティセンターがある。2代目は28(昭和3)年に完成しており、大正、昭和、平成それぞれの時代に新たな橋が完成したことになる。
「大正8年に本楯駅と遊佐駅が開業した。収穫した米を駅に運ぶ幹線道の一部として橋を架けたのだろう」と南遊佐コミュニティ振興会会長の土門智さん(67)。同副会長の斎藤伸二郎さん(63)は「鉄道開通後、庄内米の輸送がこれまでの舟運から鉄道に大きく依存していった」と解説する。
「酒田市史」と「遊佐町史」によると、酒田米穀取引所は付属倉庫(本庫、通称・山居倉庫)を持ち、鉄道開通後は沿線に支庫を新設した。本楯、遊佐にも造られた。それぞれ5万1千俵、5万9千俵の収容力で大規模な倉庫だった。
2代目の橋はコンクリート橋で「下流に堰堤があり、昭和50年ごろまで水泳場だった」と小林隆夫さん(74)=同市宮内。「われわれ南遊佐の子と本楯の子で、川上か川下かの場所取りでよくけんかになった。懐かしい思い出」と振り返った。
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