やまがた橋物語

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乱川編[12]

◆乱川橋(天童)

乱川橋(天童)の写真 乱川と最上川の合流地点から近い所に架かる乱川橋=天童市

 乱川の最下流域で、最上川との合流地点に近い所に川と同じ名前の「乱川橋」(全長135メートル、幅5メートル)が架かる。木橋から現在の永久橋になったのは1952(昭和27)年。橋が架かる天童市今町周辺は乱川のほかに押切川も流れるため、かつては乱川全流域の中でも特に洪水被害が多く、住民を悩ませた。乱川橋は治水活動に尽力した先人の苦労をしのばせる橋だ。

 橋の近くに「大工寺」という字名の土地がある。今町に住む東海林友吉さん(86)が所有する資料によると、いつごろのことかは不明だが、この地に住んでいた人は土を盛って堤防を造り、洪水で崩れてはまた造るという作業を繰り返し続けた。過酷な肉体労働の様子はまさに「大工事」と呼べるほどのもので、三つの寺があった土地でもあることから、「大工寺」という地名が生まれた。

 天童市史によると、1920(大正9)年5月に乱川と押切川の両方がはんらんし、今町周辺は大損害を受けた。多くの農作物を失い、浸水した民家は50戸を超えた。これを契機に住民の危機感が一層募り、23年から3年掛かりで、乱川と押切川の改修工事が行われ、本格的な堤防が築かれた。この大規模事業の記念碑が、同市成生(なりゅう)の押切川橋のたもとに立っている。

 39年ごろ、東海林さんは乱川の堤防を高くする工事で働いた。「砂利を運搬する際、大きな木箱に入れ、背負って運んだ。便利な機械は無くとても重労働だった」と振り返る。今、乱川橋を渡って今町付近を通ると水田が広がっている。多くの人の働きで守られてきた土地で稲穂が実っている。

2009/09/24掲載
上流へ乱川編おわり
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