やまがた橋物語

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月光川編[12]

◆菅里橋(遊佐)

菅里橋(遊佐)の写真 遊佐町菅里と北目を結ぶ菅里橋。終戦後、近くにあった先代の木造橋のたもとでは、米兵がチョコレートを配っていたという

 「ギブ・ミー・チョコレート(チョコレートをください)」

 終戦後の昭和20年代、日本各地で上がっていたであろう声が、菅里橋のたもとでも響いていた。占領軍のジープ型の車が乗り付け、米兵がチョコやキャラメルを子どもたちに配る場所だった。昭和の市町村合併で現在の遊佐町が誕生する前、一帯が高瀬村だったころの話だ。

 橋の近くに住む前町長小野寺喜一郎さん(64)に当時を回想してもらった。「米兵が大勢来て、たくさんの菓子をくれた。英語も教えてくれたし、怖いという印象はなかった。村のメーンストリートに架かる橋だったから、たもとはにぎわっていたよ」

 橋は木造で現在の位置より数メートル下流にあったという。広場のようになっていたたもとに米兵が車を止めると、子どもたちが集まる。青空英語教室の始まりだ。「ラジオはレディオと発音すると聞いて驚いたなぁ」。

 菅里と北目を結ぶ現在の橋(長さ80メートル)は1952(昭和27)年に完成した。当時では珍しいコンクリートの橋だったが、車は一般家庭に普及しておらず、ほとんど通らなかった。子どもたちにとって絶好の遊び場となった。チャンバラ、めんこ遊びなどが繰り広げられ、中学生がカランコロンとげたを鳴らす音が響いた。「自慢の橋だったよ。今思うと、この辺では戦後近代化の象徴だった」と小野寺さんは振り返る。

 きれいだった橋も老朽化が進み、架け替えの計画もある。「今度はどんな橋かな」。地元の人たちは楽しみにしている。

2011/02/01掲載
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