「藤沢橋」は上山市有数の果樹生産地・皆沢地区に架かる。全長七十一メートル、幅三メートルで主要地方道上山七ケ宿線から脇に入った市道姥懐藤沢線の一部として存在する。一帯はサクランボやラフランスといった果樹畑や田んぼが広がっており、橋は農作業に従事する地域住民たちの往来を支える。
市皆沢部落会が編さんした「皆沢部落史」によると、橋の名称は架かる場所の字名から名付けられた。現在の橋はコンクリート製の永久橋だが、以前は木造で毎年のように大雨で流されていた。そのたび、住民たちが須川の両岸を歩きながら資材を探し、時には山形市内にまで出掛けたこともあったという。また当時は人が通れるだけの幅にもかかわらず、「農耕の時無理に牛を渡らせて途中から河中に牛を落とすことも度々あった」とも記されてある。
市選挙管理委員長の木村清三郎さん(74)=同市皆沢=は市職員時代、一九五九(昭和三十四)年に完成した旧橋の完成を祝う式典に出席したという。皆沢部落史にも当時の橋上に立つ姿が写真で掲載されている。耕運機の普及などで橋の重要性が増し、地元の農事実行組合が主体になって整備したといい、「農家にとって生活を支える橋であることの表れでもあり、なくてはならない存在だった」と振り返る。市の橋梁(きょうりょう)台帳によると、現在の橋は六九年に架設され、今も地域農業を支えている。
本格的な農作業シーズンに入り、一帯では代かきや田植え、果樹の手入れで農家は大忙しだ。橋から北東側に目を向けると、残雪の蔵王連峰がそびえる。須川のせせらぎに耳を澄まし、雄大な山々を臨みながらの作業風景は、今も昔も変わらないのだろう。
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