やまがた橋物語

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須川編第2部[5]

◆東宮橋、東宮新橋(上山)

東宮橋、東宮新橋(上山)の写真 上山市金生地区と市中心部を結ぶ東宮橋(手前)と東宮新橋=上山市

 上山市金生地区と市中心部を結ぶ「東宮(とうぐう)橋」は、旧東(あづま)、旧宮生(みやおい)村を結ぶことから名付けられた。はんらんするたびに流されていた木橋に代わり、一九二九(昭和四)年に架橋。長さは四六・二メートル、幅は五・五メートルのコンクリート製。

 橋の東部に住み、同市老人クラブ連合会長を務める五十嵐忠一さん(83)=金生西一丁目=は「建設当時は治水技術が未熟で水位が高く、欄干から飛び降りて水泳ができた」と思い出を語る。川があふれると、付近の小屋が丸ごと流され、橋脚をくぐれず大破したこともあるという。

 八七(昭和六十二)年には約四百メートルほど上流に、市内南部の東西を貫くアクセス道路の一部として、長さ一一一・四メートル、幅一七・五メートルのコンクリート製「東宮新橋」が完成。橋の東側、金生地区から市中心部までの道のりは大幅に短縮された。また市の区画整理事業などで宅地分譲が進み、田畑が中心だった金生地区は、八百戸を超す集落になった。

 橋は小中学生の通学路になり、朝夕の登下校時には、子どもたちの声が響く。橋の西側に住む山川栄三さん(83)=石堂=は、橋を渡る子どもの防犯立哨指導を行っている。「元気かー」と声を掛けると、子どもたちが駆け足で寄ってきて握手やタッチを求めてくる。

 昭和と平成の境目に建設された東宮新橋をまたぐ道路は住民に「平成通り」という愛称で親しまれている。

2008/05/15掲載
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