上山市中心部から上山明新館高のある仙石地区に向かう途中に「仙石橋」はある。長さ七十二メートルの立派な橋だが、二百メートルほど上流に県道が走っているため、市道の仙石橋の交通量は少ない。そのためか、橋周辺はのどかな雰囲気が漂う。
市の橋梁台帳には現在の橋の架設年次が一九七三(昭和四十八)年と記されている。しかし、橋の東側入り口には六八年の「竣工」と刻まれてある。「どっちが正しいの?」という疑問が浮かぶが、架橋工事が二回に分けられて行われたため、どちらも間違いではないとのこと。
市によると、木造だった仙石橋は六七年の羽越水害によって橋の一部が崩壊した。そのため、翌年に失われた東側約二十メートル分をコンクリート製の橋にして補修。その五年後に残りの木造部分を架け替えたという。コンクリートの欄干が途中で鋼材に変わっているのはその名残という。七九年には隣接する歩道橋も整備された。
コンクリート製に架け替えられる前は、大雨のたびに流されていたという。元仙石地区会長の佐藤知弥さん(84)は「流された資材が見つかったと連絡が入るたびに、住民が大八車を使って山形市内まででも引き取りに行っていたもんだ」と振り返る。
旧上山町と旧中川村をつなぎ、人々の往来を支えてきたが、周辺のアクセス道が整備されたことに伴い、交通量は少なくなった。仙石地区に住む市選挙管理委員の稲毛栄一郎さん(77)は「地区と市中心部を結ぶ重要な橋。なくてはならない存在だった」と懐かしむ。とはいえ、上山明新館高生の通学路にもなっているため、朝夕は今でもにぎわう。生徒たちにとって、とても大切な橋だ。
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