やまがた橋物語

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須川編第2部[17]

◆東橋(上山)

東橋(上山)の写真 須川の水音が響く東橋。川面から約40メートルの高所に架かる=上山市

 須川の源流域に近い上山市大門の渓谷にコンクリート製の「東(あずま)橋」が架かる。一九六九(昭和四十四)年、それまでの木橋に代えて、現在の橋が設置された。全長三十七メートル、幅五・五メートルで、川面から約四十メートルの高所に架かる。橋の名は大門一帯が東地区であることに由来し、大門から上山市街に至る唯一の道・県道萱平河崎線をつなぐ橋として、住民の生活を支えてきた。

 「東郷土史」によると一八七七(明治十)年、木炭の運搬を便利にするため大門の古屋敷村に通じる道路が整備され、その時に最初の橋が架けられた。菖蒲地区の前会長木村甚治さん(67)は「山林が豊富なこの地では木炭製造が盛んでたくさんの人が働いており、橋は生活道・産業道の要所だった」と語る。また、現会長の太田稔さん(70)によると、木橋の時代は小字の地名から大渡戸(おおわたりど)橋と称し、略して「おおわたの橋」と呼ばれた。

 この木橋の時代、奇跡的な出来事があったという。古屋敷村からさらに奥地の萱平に住む男性二人が乗った車が欄干を突き破り谷底に落下した。命を失ってもおかしくない状況だったが、二人は無傷で助かった。「山の神が守ってくれたと皆が口々に言った」と木村さん。山の神は東橋近くのお堂に古くから祭られ、かつて山とともに生き、木炭作りに汗を流した人々の守り神だった。

 昭和四十年代まで、古屋敷村や萱平村(一九七一年に廃村)から東小に通う児童らが集団で橋を渡り、定期バスも走っていた。だが、そんな光景は村の過疎化に伴い消えた。今は、観光地となった古屋敷村や萱滝を見に訪れる人が時折、須川の水音が響く中を渡っていく。

2008/06/02掲載
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