やまがた橋物語

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須川編第2部[15]

◆風穴橋(上山)

風穴橋(上山)の写真 新緑に赤い橋げたが映える風穴橋。時折、農作業の車が通りかかる=上山市

 須川と菖蒲川が合流する上山市大門地区。のどかな水田の間を延びる農道に、長さ二十メートル、幅三メートルの小さな風穴橋が架かる。昭和三十年代から二十年の歳月をかけた農道整備の中で、橋は一九七三(昭和四十八)年に完成した。橋の親柱には「かざあなばし」の表記があるが、地元住民は「かざなばし」と呼んでいる。

 風穴(かざな)は、大門地区南側の農地と里山が広がる一帯の呼び名という。近くに住む木村定彦さん(77)は名前の由来かどうか分からないと前置きしつつ、「昔、近くに岩が幾つもむき出しになった場所があり、岩のすき間、風穴(ふうけつ)の中は夏でも空気が冷たかったらしい」と、幼いころ伝え聞いた話を教えてくれた。その後の土砂崩れなどで、風穴はおろか岩の痕跡もほとんど失われた。

 「この辺りには十ヘクタールの田畑があった。明治初期の大規模な開墾で三キロも先から水を引いたんだ」と、上山古文書研究会で地域史を調べている鈴木久雄さん(72)。当時は須川から水を上げる技術などなく、遠く山中から水路を引く工事は困難を極めたという。昭和になって整備された農道の記念碑には、「…農用機械の導入が容易となり果樹園も造成され進歩的な明るい部落となった…」との記述。風穴橋ができた後は圃場整備も進んだが、鈴木さんは「後継者不足と減反で明治期の田畑はもうないよ。耕作放棄地も増える一方だしね」。

 明治期の先祖が開墾発起人の一人だったという木村隆さん(77)は、およそ五十年前に架けられていた木橋を思い出す。「増水のたび流されるもんだから、遠く金生辺りまで荷車引いて、橋を拾いに行ったもんだ。そのぐらい地区には大事な橋だったんだがなぁ」。先人の苦労とは裏腹に、流失の心配がなくなった現在の風穴橋を渡る人の姿は年々減り続けている。

2008/05/29掲載
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