やまがた橋物語

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須川編第2部[11]

◆嘉平橋(上山)

嘉平橋(上山)の写真 のどかな田園風景が広がる須川右岸と楢下集落を結ぶ嘉平橋=上山市

 上山市楢下地区の集落西側を牧野地区に向かう市道に小さな橋が架かる。長さ三二・五メートル、幅四メートルの嘉平橋だ。橋の名は鈴木嘉兵衛(一八四五-一九〇七年)という篤志家の名前が由来で、その子孫が今も楢下に住む。

 嘉兵衛のひ孫の一人、本庄郷土誌編集委員会の事務局長を務める鈴木直一さん(75)は、父勇助さんに聞いた曾祖父の逸話を振り返る。「宿場町で荷次役の問屋だった嘉兵衛は、土地を提供し私財を投じて須川や金山川に幾つも橋を架け道路を造った。その一つが明治時代に架けられた嘉兵衛橋だ」。架橋当時は須川右岸に住む人も多く、右岸と左岸を最短距離で結び荷車が通れるようにした橋は人々に喜ばれ、橋に嘉兵衛の名を付けたという。

 だが、先代の嘉兵衛橋は欄干のない木橋で、須川が増水するたびに流されたという。「明治四十年代、水害で家も三十数軒流された。次第に右岸の住人は左岸に移ったようだ」と、地区の歴史に明るい佐藤孝一さん(88)。千以上の民話を語り継ぐ語り部として知られ、祖母に連れられ渡った旧嘉兵衛橋を懐かしむ。現在の嘉平橋は鋼製の永久橋で一九六六(昭和四十一)年の架橋。嘉兵衛の孫、勇助さんが橋名を残すよう役場に掛け合ったそうだが、「兵衛」が「平」に変わった経緯は定かではないという。

 山手の左岸側に集落が形成された今、右岸には果樹や野菜畑が広がる。家と畑を行き来する農家に嘉平橋はなくてはならない橋だ。畑の帰り、自転車で通り掛かった斎藤キヨ子さん(75)は「朝晩と昼食時で毎日四回嘉平橋を渡るのよ。この橋ないと困るよねえ。嘉兵衛さんに感謝しないとねえ」と笑った。

2008/05/23掲載
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