やまがた橋物語

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須川編第1部[4]

◆鮨洗大橋(山形、山辺)

鮨洗大橋(山形、山辺)の写真 山形市鮨洗地区と山辺町大門地区を結ぶ鮨洗大橋。通勤や通学の大動脈として、人々の生活を支えている

 山形市鮨洗地区と山辺町大門地区を結ぶ鮨洗大橋。県が一九九四年から、架け替え工事を含む主要地方道山形山辺線道路改築事業として進め、二〇〇一年八月に完成した。長さは二百一メートル、幅は十六メートル。

 地域の歴史を記した鮨洗文書「架橋一件留書」によると、鮨洗村に初めて板橋が架けられたのは一八七六(明治九)年。三年後の七九年には洪水により流失したが、百九十三円の工費を充て、長さ四五・五メートル、幅一・八メートルの木橋を新たに架けた。

 その際、百四十円弱の工費の不足分が生じたため、五年間は橋を渡る際に一人二厘の徴収を行っていたという。八八年十月の洪水で再び落橋。その後も、修復と落橋を繰り返した。鮨洗地区の歴史に詳しい東金井郷土史研究会員の原田武一さん(82)=同市鮨洗=は「幾度となくはんらんする須川の洪水に苦しんできた」と振り返る。

 昭和四十年代前半には、鮨洗大橋の前身となる鉄橋が完成。赤く塗られたアーチ形だった。歩道はなく、行き来する車が擦れ違うのがやっとなほど幅員は狭かったという。

 鮨洗地区の橋の歴史について、「須川との闘いそのものだったと言っても過言ではない」と原田さん。須川を堂々とまたぐ現在の鮨洗大橋の姿は、とても頼もしく見えるという。通勤や通学など地元住民の大動脈として、今日も人々の生活を支えている。

2008/03/06掲載
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