山形市南部に温泉郷を形成する黒沢地区と、蔵王産業団地に沿う国道13号を結ぶ市道に架かる「福田橋」は現在、来春の完成に向けて、架け替え工事の真っ最中だ。
地元の歴史研究家たちがまとめた「黒沢村の歴史」は、水量が多くて流れも速い須川を村人は“大川”と呼んでいた-と解説。また、福田明神からもらい受けた杉の木を今の福田橋の場所に架けたが、一本橋とあって手すりもなく、落ちて流され亡くなった人もいるので、“地獄橋”と呼ばれるようになった-と記す。
増水で橋が流失すると、黒沢の人たちは捜索に出掛けた。そんな作業は頻繁にあったようで、住民は捜索を「橋たね」(たねる=探す)と称した。「黒沢村の歴史」編さんの事務局長を務めた鈴木靖雄さん(68)は「大抵、近くの中州や下流の橋に引っ掛かったが、山辺町三河尻まで流れたこともあったようだ」と話す。
杉の一本橋は一九六一(昭和三十六)年に幅二メートルの木橋に架け替えられ、耕運機や小さなトラクターが通行可能になった。そして七九年にはコンクリート造りの橋となり、自動車も通れるようになった。ただし、幅が三・五メートルとあって車は擦れ違うことができず、「対向車が見えると橋のたもとで渡って来るのを待ち、互いに頭を下げてから擦れ違ったので、住民は“ゆずりあいの橋”と呼んだ」と鈴木さんがほほ笑んだ。
現在建設中の新しい福田橋は、車の相互通行が可能な幅一四・五メートル(車道部分六メートル)となる予定だ。
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