やまがた橋物語

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須川編第1部[11]

◆常盤橋(山形)

常盤橋(山形)の写真 江戸時代の土橋から石造りの眼鏡橋、木橋と姿を変え今は鋼鉄とコンクリート造りとなった常盤橋=山形市桜田西4丁目

 山形市街地の南部、桜田西と片谷地の間に架かる「常盤(ときわ)橋」(長さ九十九メートル、幅八メートル)の歴史をさかのぼると、江戸時代の一七五二(宝暦二)年に架けられた「坂巻橋」にたどり着く。それは土橋で、橋げたとして並べた丸太のすき間に土を敷き詰め、平らにならして造られたという。

 明治に入り、石橋に架け替えられた。一八七八(明治十一)年、羽州街道の整備に伴い、県令・三島通庸の命令で架橋。永久不変の意味が込められ、常盤と命名された。完成直前には、置賜地方から北上した英国の女性旅行作家イザベラ・バードが訪れ、技師から架橋工事の説明を受けている。

 五つ目と称されて美しい石造りの眼鏡橋だったが、寿命は短く、一八九〇年に洪水が引くときに崩れた。原因は片谷地側の堤防の強度不足だったとされる。

 その数年後、木橋が架けられた。昭和初期に撮影された写真には、雪が積もった橋を渡り始める牛に引かれた大八車が写っている。鋼鉄とコンクリート造りの橋として一九七〇(昭和四十五)年に完成した現在の常盤橋とは隔世の感がある。

 今月初めまで片谷地の地区長を務めた高瀬勲さん(67)が「常盤橋の下流二百メートルの所に氷河期の埋没林がある」と話す。それは約一万七千年前の最終氷期と呼ばれる時代の針葉樹と推定されている。洪水を何度も発生させ強固な石橋をも流した須川の水流が、はるか太古の歴史を掘り起こしたのかもしれない。

2008/03/17掲載
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