やまがた橋物語

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須川編第1部[10]

◆たてのうち橋(山形)

たてのうち橋(山形)の写真 谷柏地区(川の左側)と吉原地区(同右側)を結ぶたてのうち橋

 山形市南西部の商業ゾーンを形成する吉原地区と田畑が広がる谷柏(やがしわ)地区を結ぶのが「たてのうち橋」。昼夜を問わず車が行き交う四車線の主要地方道山形上山線を支えている。道路整備に伴い、二〇〇〇年に完成した。全長は一四二・五メートル、幅二八メートル。

 谷柏地区東部の下谷柏は土地が低く、また花川、本沢川も合流することから古くは水害地帯だった。地区の歴史を記した「谷柏村御用畄(どめ)帳」には、江戸時代からの洪水記録が残り、特に一八二四(文政七)年の豪雨による洪水は「申(さる)の大水」として伝えられている。八月十四日から十五日にかけて大雨が続き、須川がはんらんして家屋や田畑に大きな被害をもたらした。

 この時、下谷柏の住民の大半が谷柏地区西部の高台に移り住んだ。このことを後世に伝えようと「台」の字を冠した「台谷柏」という集落が生まれ、今も残る。

 下谷柏自治会長の金沢文麻さん(67)によると、たてのうち橋が架けられるまでの谷柏地区は“陸の孤島”と呼ばれていたという。対岸の吉原地区に渡る橋は一本もなく、南隣の片谷地に架かる常盤橋まで遠回りしなければ市街地に行けなかったからだ。

 「たてのうち橋ができた時の住民の喜びは大きかった。生活がとても便利になった」と金沢さん。須川は幼いころ、水浴びをしたり、灯籠(とうろう)流しをした思い出の場所。今は、吉原地区の大型ショッピングセンターへ行く際、孫を連れて、たてのうち橋を渡る。

2008/03/14掲載
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