やまがた橋物語

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須川編第1部[1]

◆落合橋(天童、中山)

落合橋(天童、中山)の写真 須川の最下流に架かる落合橋。洪水の危険性は低くなったが、橋脚の「はん濫危険(注意)水位」の文字が目を引く

 最上川との合流点まで約七百メートルの場所に架かる「落合橋」は、中山町長崎地区と天童市寺津地区を結ぶ。橋の名称は長崎地区の小字名が当てられており、三代目として一九八八(昭和六十三)年に架け替えられた。全長約二百三十一メートルで、両側に広い歩道を設けている。化粧直しが最近行われたばかりで、春めく陽光に明るい黄緑色の塗装が輝く。

 初代の落合橋は一九三三(昭和八)年十二月に完成した。寺津地区に生まれ、数年前まで橋の近くに住んでいた郷土史研究家の大木彬さん(78)=天童市駅西二丁目=は「初代の橋は欄干や親柱は木製だが、橋脚は頑丈なコンクリート造りで、当時としては珍しい構造だった」と話す。「とても強固で、洪水で上流から流されてきた中野目橋が引っ掛かったことがある」という。中野目橋の記録を見ると、どうやら五〇年八月に発生した洪水のようだ。

 初代の橋があった昭和初期までは川がきつく湾曲していたので「蛸首(たこのくび)」と呼ばれ、洪水の原因になっていた。このため、初代の橋の完成から二年後、湾曲した流れを直線的にする改修作業が始まった。釣り人が集う三日月の形の寺津沼は、昔の流れの名残だ。

 二代目の橋は、コンクリート製で五二年に完成し、昭和末期まで付近住民に親しまれた。須川の流れの改修工事は近年まで続き、川幅を広げて堤防を高くすることに伴い、移転を余儀なくされた民家もあった。三代目の現在の橋は、その工事の完成を待って架けられた。橋脚はコンクリート製で、橋げたは鉄鋼を使用。冬は歩道が雪に埋まることが多く、歩行者の姿はあまりない。一方、乗用車や大型トラックの通行は多く、天童市と中山町をつなぐ幹線となっている。

2008/03/03掲載
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