やまがた橋物語

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置賜白川編[6]

◆手の子橋(飯豊)

手の子橋(飯豊)の写真 江戸時代は旧越後米沢街道を歩く人々が行き交ったという手の子橋。国道113号となった現在は、車が主役だ

 江戸時代に置賜地方と新潟方面を結び、栄えた旧越後米沢街道に位置する、飯豊町手ノ子の手の子橋。当時も橋が架かっていたことを示す文献もあり、旅人たちが盛んに行き交っていたとみられる。国道113号に姿を変えた今は、車の往来が絶えない。

 町民有志でつくる「いいで歴史考古の会」の井上俊雄会長(76)=同町手ノ子=によると、一六四五(正保二)年に作製された地図「清帳」(せいちょう)には、旧越後米沢街道の行程が記され、現在の手の子橋と考えられる旧手ノ子村と旧松原村を結ぶ橋が描かれている。井上会長は「手ノ子は江戸時代、宿場として栄えた。多くの人が出入りし、にぎやかだっただろう」と語る。

 大正時代初期には、橋のたもとに舟着き場があった。置賜白川上流の中津川地区から木炭や繭などが舟で運び込まれ、長井方面に持って行く商人らでにぎわったという。

 現在の手の子橋は、大型トラックも数多く走る。井上会長は「もし災害などで手の子橋が通行不能になれば、迂回(うかい)するにも遠回りで、物流がスムーズにいかなくなるだろう。その意味でも重要な橋だ」と話す。

 橋は一九五六(昭和三十一)年に架けられた。長さ九九・三メートル、幅十一メートルで、両側に各幅二メートルの歩道がある。

2008/01/28掲載
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