やまがた橋物語

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寒河江川後編[5]

◆月岡橋(西川)

月岡橋(西川)の写真 寒河江ダムの放流を知らせる茶色の警報装置が近くに立つ「月岡橋」=西川町

 新緑が広がる山あいに、赤い欄干が目立つ「月岡橋」(全長五十七メートル)。西川町の月岡、本道寺両地区の西端に架けられており、一九六七(昭和四十二)年につり橋から現在のコンクリート製の永久橋に生まれ変わった。

 約三十年前まで本道寺地区の北端に本道寺小中学校があった。往時は最多で百二十人の児童生徒が通ったという。その学校に教師として勤務した経験がある山内ふみのさん(81)=本道寺=は「月岡地区の子どもが何十人も橋を渡って登校した」と話す。人口が減った現在は、約五キロ東にある水沢小に二人だけが通う。

 つり橋だった時の様子について「すごく揺れたけど子どもには面白い橋だった。手すりにあたる部分に綱渡りのように乗って遊んだりね」と荒木彦内さん(71)=月岡。同級生の黒田宣幸さん(71)=同=は「雨降りの日は傘を“落下傘だぞ”と橋から投げ落とす。くるくる旋回して川辺の砂に刺さるのが何とも面白かった。そんな遊び、今は考えられないだろうな」と笑った。

 昭和二十年代後半、つり橋の架け替え計画が出た時、両地区の真ん中を結ぶように下流側へ移そうという声が住民から上がった。だが結局、同じ場所に架け替えられた。「本道寺村役場が橋に近い場所にあったのが理由だった」と黒田さん。現在の橋に架け替えられる時も同様の意見が出たが、下流へ移すと橋が長くなり費用がかさむことから橋の位置はそのままとなった。

2009/05/15掲載
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