やまがた橋物語

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寒河江川前編[9]

◆稲沢橋(寒河江・西川)

稲沢橋(寒河江・西川)の写真 完工から75年の歴史がある稲沢橋。1940(昭和15)年の大洪水時には、小学校の校舎が流されてきて引っ掛かったという

 上野大橋の約八百メートル上流にある稲沢橋(全長一一二・五メートル、幅四・五メートル)は、西川町史によると七十五年前の一九三四(昭和九)年に架けられた。川の流水を受ける橋脚の古びた感じが、その時間の長さをうかがわせる。

 架橋される前、左岸の寒河江市宮内集落と右岸の西川町稲沢集落の住民は、渡し舟で川を渡っていた。稲沢には安産などの神として古くから信仰を集める獅子ケ口諏訪神社があり、電車路線「山形交通三山線」の羽前宮内駅で電車を降りた参拝者も住民と同様に渡し舟に乗って神社に向かっていた。しかし、舟では水難の危険が伴うため、通行の安全性を確保してほしいとの声が高まり、大地主らが寄金するなど尽力して架橋された。

 宮内に住む安孫子民雄さん(73)は、亡くなった母のトミヨさんから橋の落成式の様子を聞いたことがある。民雄さんの父、武男さんに嫁ぐことが決まっていた十九歳のトミヨさんは、実家の幸生集落から友人と一緒に歩いて、嫁ぎ先の宮内で開かれた落成式の演芸大会を見に出掛けた。「結婚式を挙げるまで相手に一度も会わないということもあった時代。母は恥ずかしくて父を誘えなかったようです」と民雄さん。橋の近くに大きな舞台が設置され、歌や踊りのイベントが三日間盛大に繰り広げられた。「家族でいろりを囲んだ時に母は『人が途切れなく集まっていて、とてもにぎやかで楽しかった』と懐かしんでいた」と民雄さんが語る。

 太平洋戦争の時には、若者が橋を渡って出征した。橋が結ぶ両集落の男女が縁組したことも何度かあった。今の稲沢橋は静かだが、過ぎ去った時代の人の往来を連想させる。

2009/03/30掲載
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