朱色の欄干と擬宝珠(ぎぼし)が、寒河江市の名刹(めいさつ)慈恩寺の入り口としての存在感を示す国道287号の慈恩寺大橋(全長二百メートル、幅九・五メートル)。八鍬地区と慈恩寺地区を結び、市内の中央工業団地や山形空港などへ向かう要路である。
一九七五(昭和五十)年に落成した。それ以前、住民らは少し下流に架かる慈恩寺橋を使っていた。車一台がやっと通れるほどの幅で、向こう岸に渡る車は隣の寒河江川橋や臥龍橋を回り道することがほとんど。しかし、産業の発展や自動車の普及で交通量が増加すると、新たな橋の整備が必要とされた。広く村山と置賜の両地方の住民も切望し、建設に至ったという。
橋の名前に使われた慈恩寺は現在、三院十七坊からなる一山組織の寺院。慈恩宗管長で住職の布施慶典さん(85)は、地区の責任者として慈恩寺大橋の設計にかかわり、橋の名付け親でもある。「慈恩寺正面の表橋として、この地域にふさわしい橋にしたかった」と当時を振り返る。
朱色の欄干は布施さんの提案だ。ベンガラという顔料で塗られた本堂の柱と同じ色にしてほしいと県の担当者に頼みこんで実現。擬宝珠も要望したが、予算がないと断られた。「それなら自分がお金を集める」。布施さん自ら、橋の建設業者を回って寄付金を募った。業者は二つ返事で快諾。こうして今、欄干には本堂のものに似せて作った擬宝珠が、誇らしげに鎮座する。
多くの人の思いが込められた慈恩寺大橋。橋のたもとに住む国井清さん(86)=八鍬=は、渡り初め式の様子を今も鮮明に覚えている。「橋の周りは完成を祝う人で埋め尽くされた。それほど住民が待ち望んでいたんだ」。仕事場に向かう車、自転車で通学する高校生、そして慈恩寺の参拝客らが、今日もひっきりなしに渡っている。
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