米沢市赤崩の松川(最上川)に架かる海老ケ沢橋はかつて、川のはんらんで耕地を失った海老ケ沢集落の暮らしを支える“命の橋”だった。
松川は、ひとたび大雨に見舞われると、西吾妻に降った雨が一気に流れ込んではんらんするなど、「暴れ川」として知られる。大正のころに二度ほど起きた大水で、生活の糧を生み出す畑をのみ込まれた海老ケ沢集落の住民たちは、対岸にある南原石垣町や芳泉町の住民から耕地を借りるなどして命をつないだ。
「耕地の貸し借りがあった当時は、川向こうの人々とは親類のようなつながりがあった」。近くの農業鈴木君男さん(79)は当時の交流の様子を語る。
かつての橋は、現在のようなコンクリート製の永久橋ではなく、半分に割った丸太をつなぎ合わせて岸にくくり付けたもの。木橋に架け替えられた後も、橋が流出する洪水が何度か発生した。このため住民は共有林に植えた太い杉を残し、次の架け替えに備えてきた。
近くに住む佐藤紘子さん(66)は「大雨で橋が流されると、集落総出で下流まで丸太橋を拾いに行き、ロープで引っ張ってきたものだった」と振り返る。
現在の橋は一九八九年に完成した。長さ九十一メートル、全幅五・六メートル。かつて貸し借りが行われた畑は米沢南工業団地へと姿を変えたが、橋は今も住民の大切な生活道路として、両岸を結んでいる。
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