やまがた橋物語

>>山形新聞トップ >>やまがた橋物語 >>最上川第6部 新大橋(米沢)

最上川第6部[4]

◆新大橋(米沢)

新大橋(米沢)の写真 車道、歩道、水管の3つの橋が並んで架かる新大橋。朝夕は児童や学生の通学路としても利用される

 米沢市南部の松川(最上川)を東西に渡る新大橋は、一九七四(昭和四十九)年三月に架けられた。上流左岸には、城下町米沢の礎を築いた戦国武将・直江兼続が家臣らを住まわせて開墾した芳泉町があり、地元の有志たちがウコギ垣の保存活動を続け、兼続の偉業を今に伝えている。

 「暴れ川」として古くから住民を悩ませていた松川はかつて、何度となく川に架かる木製の橋を流出させた。六七年八月の羽越水害では、警戒していた地元消防団員八人が橋とともに流され、四人が亡くなる惨事も起きた。

 七〇年代初頭、橋の右岸で住宅団地の建設が始まると、住民から狭く、老朽化した古い橋の架け替えを求める声が相次いで上がった。それまでの木橋は、住民の声に応え、全長百一メートル、幅七・五メートルのコンクリート造りの永久橋へと生まれ変わった。総工費は三千百七十万円。旧橋の約五十メートル下流に新設された。

 その後、並行して水管橋も建設された。九二年三月には、地元の要望を受けて歩道橋も完成。近くの松川小や米沢興譲館高、県立米沢女子短大に通う学生も安心して通学できるようになった。

 新大橋を通って米沢興譲館高と米沢女子短大を結ぶ市道は、「学園ロード」の愛称で親しまれており、芳泉町町内会連合会が沿道に設置された花壇の美化活動を続けている。

2007/11/06掲載
下流へ上流へ
[PR]
[PR]