米沢市の松川(最上川)をまたぐ国道121号の「相生橋」。住之江橋の約二百メートル上流に架かり、現存する市内の橋の中で最も古い橋に数えられる。春の風物詩「米沢上杉まつり」では、相生橋上流西側の広場が「川中島合戦」の会場になる。
架設は一九二八(昭和三)年十月。老朽化した木橋を架け替え、工事開始から一年四カ月を経て完成した。全長百四十六メートル、幅八メートルで、総工費は十三万円。市内では初めてのコンクリート橋で、完成当時は「モダン橋」と呼ばれた。
開通式には、当時の知事や市長ら約四百五十人が参加。秋晴れの中、一家三世代による渡り初めも行われ、花火の打ち上げや出店もあり、夜遅くまでにぎわったという。
近くの町内会は、ぼんぼりやちょうちんを掲げて開通を祝った。当時の山形新聞は「相生橋完成 新装に輝く橋上」の見出しとともに、「渡り初めを一目見ようと、一万人が押し寄せた」と報じている。
七四年には両脇に歩道橋が増設されたものの、築八十年が経過しており老朽化が目立つ。何度か補修されているが、地元では「古くて危険だ」という声が出ている。一方で、橋脚などに完成当時の面影が残るため「昭和初期の貴重な建造物」と、保存を望む意見も少なくない。米沢市の発展の様子を見続けた相生橋に、市民の注目が集まっている。
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