やまがた橋物語

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最上川第5部[3]

◆幸来橋(南陽、川西)

幸来橋(南陽、川西)の写真 幸せが来るようにとの願いが名前に込められた幸来橋

 南陽市梨郷と川西町西大塚を結ぶ幸来(こうらい)橋。一八八七(明治二十)年に初めて木橋が架けられ、梨郷の松木慶太氏が建設委員会総括書記・事務長として関係者の取りまとめに奔走した。子孫の松木慶次郎さん(80)=南陽市梨郷=方には、慶太氏が書いた幸来橋の設計図や架橋記録などの貴重な資料が現存している。

 その資料によると、初代の幸来橋は長さ約百六十メートル、幅六・三六メートル。総工費三千六百円のうち、県助成金二千円、地元負担金千六百円だった。地元の建設委員会は負担金を工面するために株式を発行。橋の通行を有料とし、その収益を出資者に利子として配当した。通行料は当初、大人二銭、子供一銭だったが、村民や商人から引き下げ要望書が出され、開通二年目から半額となった。

 橋の名称は一般から公募し、松木慶太氏が応募した「幸来橋」が当選。文字通り「幸せが来るように」との願いが込められている。松木さん方に残る資料には、幸来橋の開通によって「置賜経済圏が拡大し、各村の発展の道がひらかれた」と記されている。

 慶太氏の孫である慶次郎さんは「慶太の日記には地元の反対意見や役所との交渉などで苦労したことがつづられている。そうした困難をよく乗り越え、立派な仕事を成し遂げたと思う」と話す。

 幸来橋は一九三四(昭和九)年に鉄筋コンクリートの橋に架け替えられた。三代目となる現在の幸来橋は七一年に完成し、長さ二百十四メートル、幅九メートル。橋の西側約一・六キロに位置する川西町西大塚には置賜地域の医療拠点である公立置賜総合病院が二〇〇〇年に開院している。

2007/09/05掲載
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