やまがた橋物語

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最上川第4部[6]

◆睦橋(白鷹)

睦橋(白鷹)の写真 西側の山々に映える睦橋。白鷹町の広野と高玉両地区をつなぐ

 最上川を挟み、子どもたちが届くはずのない石を対岸に投げ合う姿が見られたという白鷹町の広野と高玉。両地区をつなぐ睦(むつみ)橋の名は、両地区の親睦(しんぼく)を願う思いに由来する。

 橋の完成前は、小さな渡し舟で往来していた。不便な思いをしてきた当時の高玉を含む蚕桑と広野を含む東根両村住民の気持ちについて、「向かい郷に嫁に行くと親の死に目に会えなくなる」などと白鷹町史は紹介している。

 橋整備は、住民の熱意があったからにほかならないが、鉄道の整備も大きな要因となった。

 軽便鉄道長井線(現在のフラワー長井線)が、大正時代に長井、荒砥にまで延伸。当時の鉄道省の計画では、現在の路線とは反対の最上川右岸に線路を通すことを計画していたが、左岸側の蚕桑村や鮎貝村が反発し、猛烈な反対運動を展開するまでに至ってしまった。

 ここで、県と郡が示したのは、鉄路を最上川左岸に設け、その代わりに右岸の東根村のために橋を架けるという妥協案。これにより反対運動が終息し、橋の完成に至ったという。

 現在の橋は、一九七九(昭和五十四)年の完成で、長さ四百三十メートル、幅十メートル。広野の町議遠藤幸一さん(57)は「東根と蚕桑地区は、婚姻率も高く、交流が活発と言える。互いの地域とも橋の名の通り、むつまじくやっているのではないか」と笑顔を見せた。

2007/07/09掲載
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