最上川舟運が盛んだった江戸時代、白鷹町の下山、高岡の両地区辺りは屈指の難所と呼ばれていた。現在は黒滝橋が架かり、周辺にはフットパスなども整備され、町民らの憩いの空間となっている。
米沢藩が領内の産物を舟に積んで酒田に運ぶ際、黒滝橋が架かる一帯は最大の難所だった。そこで上杉家御用商人だった京都の西村久左衛門が藩の許しを得て、一六九三(元禄六)年六月に最上川の大改修工事を開始。掘削は硬い岩盤に覆われ難航を極めたが、苦心の末に作業を終えたという歴史がある。
黒滝橋は長さ一六六・五メートル、幅五メートルで、一九七〇(昭和四十五)年に完成した。建設が計画段階だった一九六七(昭和四十二)年に羽越水害が発生したため、洪水の再来に備えようと、当初の予定より橋を三メートル高くして整備した経緯がある。
橋の下流にある「つぶて石」は、鎌倉時代の武将、朝比奈三郎が朝日岳の山頂から左手で投げたもの、という言い伝えが残る。
橋の完成前、舟で通学・通勤していたという高岡の須貝仲次副区長(66)は「舟の時代は早朝や夜遅いときは回り道をして帰宅した。橋が完成したときは『便利になったなぁ』と強く思ったことを思い出す」と当時を振り返った。
二〇〇六年には、国土交通省が付近に約四キロにわたって最上川フットパス「かわ物語・舟乗り気分」を整備。町民らが豊かな自然を満喫しながら散策を楽しんでいる。
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