朝日町の松程(まつほど)、上郷の両地区を結ぶ暖日(ぬくひ)橋。地元の念願で一九二六(昭和元)年に架けられたつり橋から数え、四代目になる。二代目への架け替えの際は地区の財産を売って資金をつくるなど、住民が架橋に向けて懸命に取り組んだ歴史を持つ。
朝日町史によると、二五(大正十四)年、松程地区の住民から当時の西五百川村長に架橋を求める願書が出され、翌年十二月二十五日につり橋が完成。この日は大正天皇が崩御した日でもあり、新しい元号から名前を「昭和橋」にした。
しかし、四七(昭和二十二)年の水害で落橋。かつて同地区の区長を務めた阿部満雄さん(81)=同町松程=は「二代目を架ける際には、地区の山を売って工事の資金にしたらしい」と話す。六一年には上郷ダム工事に伴い三代目に生まれ変わったが、幅が狭い上、川面近くに架けられたために取り付け道路が急坂で不便だった。そこで九八年、全長百六十六メートル、幅一〇・五メートルの、両岸から直接乗り入れることができる現在の「暖日橋」が完成した。
「地元住民が心を一つにして橋を架けてきた」と阿部さん。四代目にも愛着のある昭和橋の名を残したかったが、近くにある「暖日山」の名前をとったという。しかし今では「ぬくひ」がなまり、ほとんどの人が「ぬくい」橋と呼ぶ。
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