アーチ形の赤い橋げたが、周辺の緑と好対照を描く大江町の大江大橋。富沢、三郷の両地区を結ぶ町道諏訪堂中山線にあり、長さ百四十六メートル。一九七七(昭和五十二)年の橋の開通により、住民らが対岸に移動する際に利用していた渡し船は姿を消した。
橋は、村山西部広域営農団地農道整備事業の一環として、県が七五年から三年がかりで整備。四本の親柱にはそれぞれ、船頭が綱を引いて船を上流に運ぶ様子を描いたレリーフが飾られ、舟運の歴史を伝えている。
橋が架かる以前、三郷地区の住民が町中心部の左沢方面に通勤、通学する時は、地区内の深沢の渡し場から船に乗るか、下流の最上橋まで大きく遠回りしていた。住民にとって橋の開通は長い間の悲願だった。
三郷地区の鈴木伊助さん(76)の父長作さん(故人)は、橋が架かるまで、深沢の渡し場で船頭を務めていた。伊助さんも父親が操る船に乗って対岸の朝日町中沢に渡り、バスで左沢の会社に通っていた。「水量が多くて船を出せない時は、渡し場に赤い旗を立てて利用者に知らせていた」と振り返る。
「操船を手伝ったこともあるがバランスを取るのが難しかった」と伊助さん。操船する長作さんの写真が伊助さん方に残る。さおを手にした長作さんは地区の交通の担い手として、誇らしげな表情を浮かべている。
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