やまがた橋物語

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最上川第3部[14]

◆五百川橋(朝日)

五百川橋(朝日)の写真 車道橋と歩道橋が並んで架けられている五百川橋。豊かな緑に囲まれている=朝日町

 朝日町の五百川(いもがわ)橋(全長九二・九メートル)は今年で“満八十歳”になる。すぐそばに新橋が完成してからは交通量もぐんと減ったが、岸辺は緑濃く、橋から見渡せる遠くの山並みが今も心を和ませてくれる。

 橋の歴史は明治期にさかのぼる。朝日町の旧家・長岡権四郎家の「萬見聞記録」によると、一八八六(明治十九)年に木橋が架けられている。その後、何度か洪水による流失と架け替えを繰り返し、一九二七(昭和二)年、現在の鉄筋コンクリート橋が誕生した。「総工費四万三千余円の大事業であった」(「朝日町の歴史」)。

 当時の渡り初めの写真を見ると、「祝竣工(しゅんこう)」の看板に日の丸がはためき、橋を埋め尽くすほど大勢の人が詰め掛けて盛大に行われた。西五百川郷の玄関口として、交通の要衝として、いかに地域の期待を集めて完成したかが分かる。

 この橋を幾度となく通ってきた地元住民の一人、元町議の若月清五郎さん(85)=朝日町三中=は「まだ新しい橋が架かる前は、西五百川の人は皆この橋を渡った」と往時を振り返る。若月さんも四二年、この橋を渡って出征し、四五年の復員の時もこの橋を渡り晩秋の郷里に帰った。

 満八十年を迎え、欄干にさびも目立ってきたが、それだけにいろんな人の喜び悲しみ、さまざまな人間模様を見詰め続けてきた橋でもある。

2007/05/31掲載
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