やまがた橋物語

>>山形新聞トップ >>やまがた橋物語 >>最上川第2部 共栄橋(村山)

最上川第2部[8]

◆共栄橋(村山)

共栄橋(村山)の写真 スーパー農道として整備された共栄橋の下を三難所舟下りの観光船が通過する=村山市

 村山市大槇と名取を結ぶのが共栄橋。長さ約百八十メートルで、農産物の輸送や地域住民の通勤、通学に利用されている。

 共栄橋は、県の北村山広域営農団地農道整備事業(スーパー農道)の一環として整備された。一九八二(昭和五十七)年に完成、八五(同六十)年に市道になった。橋の名前は大槇にある共栄集落が由来で、両地区が文字通り「共に栄えるように」との願いが込められている。

 近くに住む村山市郷土史研究会の高橋幸雄会長(69)によると、共栄橋がある場所は、三五(昭和十)年ごろ、同市と寒河江市を結ぶ「寒楯線」という鉄道の建設が予定されていたという。駅の設置場所も決まり、測量まで済ませた。しかし四一(同十六)年に太平洋戦争が始まり、資金や物資が不足したことから、計画は頓挫した。

 共栄橋と、近くの温泉施設のクアハウス碁点、碁点橋を結ぶ五・五キロの区間は遊歩道となっている。九〇年から二〇〇一年まで、このコースでマラソン大会が二十六回開かれ、多くの市民が参加した。現在も、遊歩道を走ったり散歩する市民の姿が見られる。

 高橋会長は「共栄橋からは、東に甑岳(こしきだけ)、西に葉山、さらに上流約一キロ先には竜神の吊(つ)り橋も見える。景色の良い場所だ」と話している。

2007/03/14掲載
下流へ上流へ
[PR]
[PR]