やまがた橋物語

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最上川第2部[3]

◆大橋(大石田)

大橋(大石田)の写真 75年以上もの歴史を刻む大橋。塀蔵を模した修景護岸が見える=大石田町

 大石田町を貫流する最上川。右岸の大石田地区と左岸の横山地区を結ぶのが大橋だ。町によると一九三〇(昭和五)年十二月に渡り初めが行われ、実に七十五年以上も人々の往来を支えている。完成を祝い開かれた花火大会が戦中戦後の一時期を除き現在まで続き、大石田の夏を彩るなど、大橋は町のシンボルの一つだ。

 現在の大橋は二代目。渡船に代わり、初代の木橋が架けられたのは一九〇一(明治三十四)年のこと。鉄道「官有鉄道奥羽南線」(現奥羽本線)の大石田開通に合わせて建設された。大正時代の写真では、多くの人が木製大橋を行き交う姿を確認することができる。

 現在の大橋は鉄橋で、長さ一四五・八メートル。鉄骨が橋脚の上を頂点に緩やかにカーブする造形が特徴的だ。板垣一雄大石田町立歴史民俗資料館長は「当時の最新の技術で造られているのだろう。全体の姿も良く、最上川に映えている」と話す。

 板垣館長はまた「大橋は、大石田に滞在した歌人斎藤茂吉が横山へ散歩に行くコースの一部だった。大橋でできた秀歌もある」と説明する。茂吉と作画中の洋画家金山平三が、大橋の上で会ったというエピソードもある。大橋は、文化の一場面の舞台にもなった。

 周辺には塀蔵を模した修景護岸や再現された最上川舟運の舟役所跡大門がある。主要幹線としての役割は上流の虹の大橋に移ったが、大橋には一般の生活道路以上の思い入れを持つ人が多い。

2007/03/07掲載
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