河北橋は河北町の北東、東根市との境界近くに位置する。全長約四百四十メートルのこの橋が一九六六(昭和四十一)年に開通するまでは、渡し船が移動手段。危険や不便が付きまとい、架橋は地元の悲願だった。
川の右岸側、東根市に隣接する舞台地区の奥山時雄さん(70)は「田んぼを川の向こうに持っている人が多く、昔は大変だった」と懐かしむ。大人や学校に通う子どもだけでなく、田畑を耕す牛や馬も一緒に舟に乗り、川を越えた。
川が増水すれば渡し船は難航する。二九(昭和四)年には舟が転覆し、十一人が死亡する事故が起きた。運休で子どもが学校に行けないこともあり、地元では架橋を強く要望したが、完成したのは事故の三十七年後だった。
六六年十二月の「町報かほく」に、当時谷地中部小六年だった結城美代子さん(52)=天童市一日町=が「河北橋完成」と題した作文を書いている。「うれしさのあまり工事が終わっていないのに橋を渡り、工事をしている人に何回かしかられては渡りました」と喜ぶ一方、「姿を消そうとしている渡し船に、本当にごくろう様でした、とお礼をいいたい気持ちでいっぱいです」とも。橋の完成と同時に、長い渡し船の歴史は幕を閉じた。
河北橋のすぐそばには、八五(昭和六十)年に営業を始めた海老鶴(えびづる)温泉がある。朝と夕方に訪れる常連客にもこの橋を渡ってくる人は多い。温泉も、橋の恩恵を受けている。
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