村山市河島と稲下を結ぶ碁点橋は、最上川に架かる橋の中で、田井橋(河北町)に次いで二番目に古い歴史を持つ橋だ。
碁点の由来は、この周辺の水量が減った時に突出する岩が、碁石を並べたように見えることから付けられた。現在架けられている橋は四代目。初代の橋は木造で一八九一(明治二十四)年十二月に架設された。その後、一九〇三(同三十六)年に二代目の橋が架けられ、四〇(昭和十五)年から五年をかけて建設された三代目は、鉄筋コンクリートで造られた。
近くに住む無職斎藤好輝さん(72)によると、江戸時代まで、最上川の右岸の楯岡地区は幕領、左岸の河島地区が新庄戸沢領だったこともあり、交流はほとんどなかった。橋が架けられ、車社会になるにつれ徐々に交流が深まったという。
現在の橋が完成したのは八八年十二月。それまでは、大雨が降る度に川があふれ、多いときで年五、六回、周辺の田に水が流れていたという。水害をなくすために川幅を広げたことで、四代目は三代目より約百五十メートル長い全長約三百十メートルとなった。歩道も設けられ、幅は五・五メートルから十二メートルに広がった。
最上川右岸にはグラウンドゴルフ場があり、仲間同士で楽しみながら体を動かす人の姿が見られる。近くには碁点温泉や市民体育館、遊歩道などもあり、市民の健康増進の場として多くの人が集っている。
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