去年十月に開通した大蔵村清水地区に架かる大蔵橋(全長二二九・二メートル)。東側にはオレンジ色の旧大蔵橋(同一六五メートル)が並んでいる。一九三一(昭和六)年に造られた旧橋は老朽化が進み、五・五メートルと幅も狭いことから、新橋にバトンを渡すことになった。
元村職員の熊谷勝保さん(61)によると、旧橋が完成するまで、村民の移動手段は渡し舟だった。しかし、豪雪地として知られる大蔵村。冬は吹雪が続き、舟を出せない日が二十日以上続いたこともあった。一九一七(大正六)年には舟が転覆、十人が死亡する事故が起きた。
二三(同十二)年に川の両側にワイヤを渡し、それに舟を結んで渡る措置が取られたが、まだまだ不便なものだったという。昭和に入り、ようやく架橋が決定。馬車による鉄骨の運搬や、鉄骨の大半が川に沈む事故が起きるなど、難航を極めた工事の末、村民の悲願である大蔵橋が完成した。
それから七十余年。旧橋は二〇〇七年度中に撤去される予定だ。昭和、平成と歴史を見守り続けてきた村のシンボルが消えることを惜しむ声もあるが、旧橋は静かにその歴史に幕を閉じようとしている。
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