河口付近は幅が数百メートルもある最上川では昔、木造の橋が洪水で流失することも珍しいことではなかった。当然、橋を渡る住民は、しっかりした橋を望む。酒田市の松山地域と庄内町中心部を結ぶ県道余目松山線の「庄内橋」も、そんな歴史から架けられた。
県が建設に取り組み、四百六十五メートルの橋が完成したのは一九五八(昭和三十三)年。約半世紀を経た今となっては、歩道がなく、車道の幅は二車線で五メートルという狭さは、大型車同士のすれ違いがやっとという状態だ。
歩行者や自転車には危険な橋に、架け替えを望む声が出ている。松山地域で唯一だった松山里仁館高が二〇〇二年三月末に閉校し、この庄内橋を通って庄内町などの高校に生徒を通わせている保護者らの声だ。
酒田市の松山総合支所では「橋の改良促進についてはもともと期成同盟会がある。去年二月には松山地域としても協力会を設立し、早期実現を要望している」と今後に期待を掛けている。
“日本海に沈む夕日を見るならここ”と評判の高い酒田市の丘陵地「眺海の森」に上ると、青色の美しい六連トラス橋が眼下に見える。昭和の美しい橋は架橋当時に想像できなかった交通量の増加などで、いつしか姿を変えるのだろうか。
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