やまがた橋物語

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馬見ケ崎川編[7]

◆千歳橋(山形)

千歳橋(山形)の写真 最上家の家紋や県の鳥オシドリなどをあしらった千歳橋の主柱

 山形市の銅町と泉町をつなぐ千歳橋(二百七十五メートル)はJR奥羽本線羽前千歳駅近くにある。幅十六メートルのコンクリート橋で、一九九二年に開催された「べにばな国体」の前年に、競技会場となった同市スポーツセンターへのアクセス道の一つとして架けられた。

 同市銅町一丁目の卸小売業の会社社長、長谷川幸雄さん(72)によると、先代の橋もコンクリート製だったが、対面交通がやっとの狭さだった。その当時、長谷川さんは銅町、宮町の商店街組合の役員を務めており、橋の拡幅に力を注いでいた。「町の発展には道路整備が不可欠だった」と長谷川さん。公民館や集会所に住民を集め、橋の拡幅の説明をして賛同を得たが、実現までは十年ほどの時間を要したという。

 橋の完成は大勢の住民が喜び、当時の山形鋳物工業団地協同組合が中心となり、山形鋳物で橋の柵に県内の山や県の花ベニバナをデザイン、主柱には山形市の礎を築いた最上家の家紋や、県の鳥オシドリをあしらった。長谷川さんは「道路もスポーツセンターを通って天童まで開通し、一気ににぎやかになった」と目を細める。

 泉町町内会の役員をしている飯野喜一郎さん(70)は子どものころ、先代の橋の上で対岸の銅町の子どもたちと“石合戦”をし、投げられた石が頭に当たったという。その傷は今も残っている。「川を挟んで互いに対抗意識でもあったんだろうか」と飯野さん。

 千歳橋の開通後は、市の区画整理などもあって、ヨシの茂る湿地だった泉町は約五百世帯が住む住宅地に。かつて馬車なども通った狭い橋は、天童市、東根市などからのサラリーマンも往来する通勤の道になった。

2009/02/04掲載
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