やまがた橋物語

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馬見ケ崎川編[5]

◆長町農道橋(山形)

長町農道橋(山形)の写真 堤防の内側に架けられた長町農道橋。小学生の通学路になっている

 見崎橋と万歳橋の間に「長町農道橋」(約四十五メートル)が架かる。その名称通り、山形市の千歳地区や長町地区の農家が、農作業に行き来するための橋だ。もっとも現在は、通勤通学や買い物などで多くの地域住民が利用している。

 千歳土地改良区の役員を務めた田苗良一さん(73)は「千歳と長町の農家は大部分が馬見ケ崎川の西側に田畑を持つ」と話す。その理由はこうだ。江戸時代初期に山形藩主鳥居忠政による馬見ケ崎川の流路変更で、川は同地域を流れるようになり、農地は東西に分断された。洪水が発生すると川の東側(右岸)の田畑は流される頻度が高いため、次第に西側(左岸)が主な耕作地となった。

 現在の橋は一九八二(昭和五十七)年に架けられた。前年夏の台風でそれまでの木橋が大破したことから、強度を増したコンクリート橋に生まれ変わった。一九八〇年代後半から両岸は、堤防に沿って新興住宅地となった。千歳地区の田苗篤さん(67)は「橋は千歳小児童の通学路。特に朝は車も多いから住民が通学を見守っている」と話す。

 東側の河川敷は芝生が植えられ、ベンチや水飲み場が整備されている。節分を前に早くも春が来たような日差しの下、そのベンチで一休みしていたのは山寺地区の後藤うめ子さん(79)。JR仙山線の列車に乗り、羽前千歳駅で降りて歩き、橋の近くにある病院に行く途中だという。「青空が気持ちいいね」と笑顔をみせた。馬見ケ崎川の川面が空の色を映していた。

2009/02/02掲載
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