上山市中山地区のJR羽前中山駅から約500メートル南に、1979(昭和54)年に架設された坊沢二の橋がある。周囲にあるのは見渡す限りの田畑と数軒の民家。全長17.6メートルの小さな橋で人通りも少ないが、農作業で利用する住民らにとってはなくてはならない大切な橋だ。
西側の踏切を越えた先には前川の支流に架かる坊沢一の橋(全長4.2メートル)がある。架設は80年。かつて木橋や石橋だったころ、一の橋は「揚橋(あげはし)」、二の橋は「坊沢橋」と呼ばれた。永久橋の架設とともに「一の橋」「二の橋」が正式名称となったが、古くからの住民は今でも二つの橋を慣れ親しんだ旧名で呼んでいる。
前川の流域には1600(慶長5)年の慶長出羽合戦で最上、上杉両軍が戦った「広河原古戦場跡」がある。上杉方の中山城主・横田旨俊(むねとし)と穂村造酒丞(みきのじょう)らが率いる4千の兵と、上山高楯城主・里見民部の軍勢が死闘を繰り広げた。
橋の周囲にはのどかな田園風景が広がり、川のせせらぎだけが響く。戦から400年以上を経て、まさに「兵(つわもの)どもが夢の跡」といった風情が感じられる。
二の橋の近くに住む農業岩瀬信一さん(82)は、山際にあるブドウ畑に通うために毎日、この橋を軽トラックで渡る。春を迎え今はビニールハウスの整備の真っ最中だ。「木橋だった昔は車で通るのも不安だったが、永久橋になってからは格段に便利になった」と岩瀬さん。川沿いの農道は散歩コースとしても人気があり、もう少し暖かくなればジョギングで汗を流す住民の姿も見られるようになる。
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