前川に架けられた橋の中に明治の土木遺産が二つ残る。一つが上山市川口地区の堅磐(かきわ)橋、もう一つは南陽市小岩沢の吉田橋だ。堅磐橋(全長14.3メートル)は1878(明治11)年に完成した。初代県令の三島通庸が計画を進めた道路整備で架けられた眼鏡橋で、アーチの直径は5.6メートル。
堅磐橋のある道は、かつては国道13号だったが、国道改良工事でルートが替わったことから旧道となり、現在は畑に通じる道になった。利用者は少ないが、古い橋や歴史ある道を訪ね歩く県内外の愛好者が時々訪れる。
三島は江戸時代から石橋の架設技術を確立した薩摩(現在の鹿児島県と宮崎県南西部)藩の出身。同郷の土木技師奥野忠蔵を本県土木技官に任命し、石橋の設置を進めた。堅磐橋の架設に際しては、材料の石材は上流部の山や橋の近くの河床から採取したと記録に残る。
県内の石橋(眼鏡橋)を調べている市村幸夫さん(74)=山形市北町3丁目=によると、県内で明治期に架けられた石橋は21橋で、そのうち13橋が現存する。そのすべてを三島が指示して架けたわけではないという。堅磐橋について記録はないが、奥野がかかわった可能性が高いという。
堅磐橋の近くでコンクリート製品会社のデザイン室長を務め、山形歴史たてもの研究会の会長を務める結城玲子さんは「明治時代の優美なアーチ橋が姿を保ち、現役の橋として存在することは素晴らしい」と堅磐橋の魅力を語る。堅磐橋のすぐ上流側には国道13号拡幅化で2002年9月に架け替えられた川口橋(全長45メートル)がある。新旧の2橋が並ぶ風景は時代の流れを感じさせる。
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