やまがた橋物語

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京田川編[8]

◆十文字橋(庄内・鶴岡)

十文字橋(庄内・鶴岡)の写真 2代目となる現在の十文字橋。初代の橋は中学生の汽車通学のために架けられた=鶴岡市長沼

 鶴岡市長沼と庄内町大野をつなぐ十文字橋(長さ75メートル)は新庄市方面から海水浴や空港に向かう人が多く利用し、交通の要衝となっている。

 主要地方道庄内空港立川線の橋で、道路を挟み十文字地区の集落は二つに分かれている。「藤島地名風土記」(青山崇著)によると、先代の十文字橋は1963(昭和38)年12月に完成した。この年の3月、集落内にある長沼中(65年、藤島中と統合)が火災で全焼し、生徒たちは近くの藤島中へ汽車通学し授業を受けることになった。近くの西袋駅(旧余目町)には迂回(うかい)して行くしかなかったため、旧藤島町が庄内農業高近くにあった木造の藤島橋を移転し、集落の名前から十文字橋と名付けた。中学生だけでなく、駅の利用者にとって便利な交通路となった。

 長沼郷土史研究会員で近くに住む深井嘉市さん(79)は「子どもたちが毎朝、橋を渡って駅に向かっていたので、地域では通学橋とも呼ばれていた」と昔を振り返る。

 現在の橋は87年に建設。それと同時期に橋付近の道路を拡張し、主要地方道となった。渡り初め式には地域住民が参加。3世代の夫婦が同居している家庭が代表として橋を渡り、完成を祝った。

 20年ほど前から子どもたちはバス通学になり、通学橋と呼ばれていたころに比べると人通りは少なくなったが、一方で、道路拡張によって交通量は非常に多くなった。夏には湯野浜などに向かう車がたくさん通るという。深井さんは「中学生たちは汽車の時間に間に合うよう橋の上を走っていた。その姿が毎朝の風景だったんだ」と昔の情景を懐かしんだ。

2010/01/21掲載
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