遊佐町から鶴岡市までを縦断する通称「スーパー農道」の一部として1975(昭和50)年11月に完成した小中島本小野方橋(長さ54.3メートル、幅6.5メートル)。鶴岡市小中島と庄内町本小野方を結び、のどかな田園地帯に架かる。開通当初、橋の名称をめぐって騒動が起き、約4年間にわたり“名無しの橋”だった歴史がある。
最初に付いた名前は小中島橋。旧藤島町側・小中島の地名から、県が名付けた。しかし渡り初めが終わってから、旧余目町が「橋が架かる前に両自治体で名称に関する話し合いがなかった」と県にクレームを付け、騒動が始まった。県は橋の名称が書かれたプレートを撤去。その後、両町の間で話し合いが持たれたがまとまらず、名前がない状態が続いた。一方で、小中島の若者5人は「小中島橋名称早期復帰同盟会」を組織、当初の名前の存続を訴える活動を展開していた。
80年1月、橋が東田川郡のほぼ中央に位置するとの理由から県は「東田川橋」と名付けたが、直後に何者かがプレートを外すなど“ゴタゴタ続き”。同年3月、両町は苦肉の策として「小中島本小野方橋」の案を県に提出、ようやく今の名前に落ち着いた。地域住民によると、当時、日本一長い名前の橋としてマスコミに多く取り上げられたという。
「当時は名前を取り戻そうと懸命だった。今ではいい思い出」と振り返るのは同盟会員だった石川勘一さん(62)。一方、本小野方の冨樫洋策さん(82)は「われわれは名称を気にせず、交通が便利になったことを喜んだよ」と話す。
当時の騒ぎも今は昔。両集落をつなぐ橋として大切な役割を果たしている。
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