魚清水集落と県道を結ぶ「魚清水橋」は洪水で何度も流された。安全な橋が欲しいという住民の願いは一九七一(昭和四十六)年に実現。全長六一・六メートル、幅四・八メートルの橋が、地区住民の負担と近くの山林所有者からの寄付金もあって完成した。
昭和の初め、人一人通るのが精いっぱいのつり橋があったが、洪水で流された。しばらくは丸太を三本束ねて橋代わりにしていたが、近くの山から木を切り出していたこともあり、馬車も通れる丈夫で広い橋にしたいと、丸太に土を敷いた橋を架設。洪水で一度架け直された後、所々腐って欄干がなくなってもそのまま使われていた。
昭和三十年ごろだったという。雨の日、傘を差して橋を歩いていた小学生の女の子が風にあおられて川に転落した。欄干があれば防げた事故だったかもしれない。幸い、近くにいた人がすぐに助け上げたが、安全な橋を求める地域住民の思いは強くなった。
新しい橋は工費を少なくするため、橋は両岸の間が一番狭い場所に造られた。完成を機にマイカーを購入した住民も多かったという。魚清水地区で生まれ育った伊藤準治さん(71)もその一人。「今では橋が狭く感じるようになった」と伊藤さん。ワンボックスカーなどの大きな車が増え、車同士の擦れ違いはぎりぎり。橋のたもとで対向車を待つ光景がよく見られる。
橋の下流の右岸堤防沿いに二〇〇一年、最上川さくら回廊でオオヤマザクラ三十六本が植えられた。左岸にも桜並木があるため、春には両岸がピンク色に染まり、通行人を楽しませる。
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